WISDOM

入浴編

広い浴槽で健康に!
広い浴槽の方が「気持ちがいい」と感じるのは「脳波の違い」があるそうです。銭湯に満ちているマイナスイオンで体内の細胞が若返り、気持ちいいと感じ、健康にもなっていきます。
入浴設備
気泡風呂、超音波風呂、打たせ湯、水風呂、ラドン浴、座風呂、寝風呂、電気風呂、軟水風呂、炭酸泉、黒湯、薬湯など銭湯には数多くの浴槽設備や水質設備が施されています。
特に、強力なジャグジーが認知症の予防・改善に役立つと発見されました。
体がよりあたたまる
銭湯の湯温は42℃以上が一般的、45℃以上の高温をウリにしている浴場も数多くあります。
家で半身浴をしている人も多いかと思いますが、浴槽が小さい分お湯が冷めるのが早く、どんどんお湯が冷めてなかなか体が温まりません。
銭湯は浴室空間も広いので、蒸気が満ちており、お湯の温度も常に管理されていますから、半身浴や反復浴にも適しており、きちんと温まれば湯冷めしにくくなります。
コミュニティー空間
銭湯は大勢に人と一緒に入浴する施設です。特に人と接する機会が少ない人にとっては孤独感を紛らせる場にもなり、精神的にもいい刺激を受けることができます。心にいい刺激を受けると肉体的な健康に繋がることが期待できます。
また、大勢の目がある為入浴中の事故が起きにくいです。全国で起こる高齢者の入浴中の事故死件数は、年間1万4000件(東京救急協会「平成12年度 入浴事故防止対策調査研究の概要」)にのぼると推定されています。
このほとんどは家庭の浴室での事故です。銭湯ならこの不慮の事故を回避できる可能性がたかいです。

歴史編

銭湯のはじまりは寺院
沐浴の功徳を説き、汚れを洗うことは仏に仕える者の大切な仕事と考え、当時の寺院には七堂伽藍の1つに浴堂を数え、施浴が盛んに行なわれ、庶民にとってうれしい施しでした。そして入浴のたのしみを知った市民が、平安時代の末には京都に銭湯のはしりともいえる「湯屋」を初めていきました。
浴槽が発展していく江戸時代。
江戸時代には、多様な入浴設備ができます。江戸初期の銭湯は蒸し風呂だったと考えられております。
やがて、膝をひたす程度に湯を入れ、下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す「戸棚風呂」が登場し、慶長年間の末頃には現在のように首まで浸かる「据(すえ)風呂」ができ一般庶民の家庭に広まります。
桶の中に鉄の筒を入れて、下で火をたく方法が発明され、これは「鉄砲風呂」ができ、江戸で広まります。一方、桶の底に平釜をつけ、湯をわかす「五右衛門風呂」は関西に多かったようです。
衛生面の改善
明治時代になって、銭湯の様式が一変しました。
榴口は取り払われ、屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたりなどの改良で洗い場もずっと広くなりました。
これは「改良風呂」と呼ばれ、評判でした。後には、湯船の縁を少し高くして、汚れが入らない工夫もされました。
大正時代には、銭湯はさらに近代化され、板張りの洗い場や木造の浴槽と変わって、タイル張りのものが主流になりました。
また、昭和2年には、浴室の湯、水に水道式のカランが取り付けられ、衛生面も向上しました。